Ali uchida

写真家 内田亜里のブログです

Living and Dying


原子内の素粒子どうしの相互作用において、もとの粒子が消滅し、新しい粒子が生まれる。
素粒子の世界は生成と消滅のダンスの世界、
質量からエネルギーへの転化と、
エネルギーから質量への転化というダンスの世界なのである。
さまざまな素粒子がつかの間のきらめきとして
現れては消えてゆき、
終わりのない、
永遠に新しい世界をつねに創造しているのである。

ゲリー•ズーカフ


生がこのつかの間のダンスでなければ何だろう。
すべてはつねに変化しているのではないか。

〜〜〜

わたしたちの肉体の細胞は死に続けている。
脳のニューロンは崩壊し続けている。
顔の表情もつねに変化している。時々刻々そのときの気分によって。

わたしたちが基本性格と呼ぶものは、単なる「心の流れ(連続体)」にすぎない。
今日は気分が良い。たまたまものごとがうまくいっているから。
明日はその逆だ。
あの良い気分はどこへいってしまったのだろう。
状況が変わるたびに、新しい影響がわたしたちを支配する。
ひとつの影響が永続しないように、わたしたちも永続しない。
どこをむいても、確固たるもの、永続するものなどなにもないのだ。

わたしたちの思考や感情ほど予測しがたいものがあるだろうか。
次の瞬間に自分が何を考え何を感じているのか、少しでも予測できるだろうか。
わたしたちの精神は実は夢のように空っぽで、無常ではかないのだ。
思考をみつめてみるがいい。
それはやってきて、とどまり、去っていく。
過去は過ぎ去った。
未来はまだおこってない。
そして現在の思考も、いうまでもなく、過去のものとなる。

わたしたちが手にしているたったひとつのもの、それは現在性、今なのだ。


こういうことを話していると、話のあとでわたしのところへやってきて、
「こういったことは皆わかりきったことです。なにかあたらしいことをはなしてください。
という人がいる。

わたしはこう答える。

「あなたは本当に無常を理解し、実感していますか。それをすべての思考、呼吸、行動にとりくんでいますか。
あなたの人生が変容するほどに。
次の質問をあなた自身にしてみてください。

自分は死につつあるのだということを、ほかの誰もが、何もかもが、死につつあるのだということをつねに思い出しているか。

そうであれば、すべての存在にたいして、哀れみのきもちをもって接しているか。
そして無常にたいする理解が痛切で切迫しているあまり、あらゆる時間を悟りを追い求めることに捧げているか。
これらの質問に「イエス」とこたえることができるのなら、あなたは本当に無常を理解しているといえよう。」


Sogyal Rinpoche(チベット仏教の師)