Photo diary from sajima

写真家 内田亜里のブログです

国東半島へ 5 三浦梅園 その2 気と物


涼しい夜です。


前の続きで、大分の国東半島が産んだ偉人、三浦梅園のことをメモしております。
わたしには、彼の著した、「玄語」を読み解く力がないので、三浦梅園資料館で購入した「三浦梅園先生の哲学」からのメモです。

非常に分かりやすく、たのしい本です。




「気と物」

梅園は、なぜ、この世に多くの物があり、それぞれの性質をもつのか、そして活動し、変化するのか?
そのしくみを問い続けた。

彼が29歳のとき、初めて「気」についてわかり、自然のしくみを理解しはじめる。


「気」とは?

・形あるものを「物」、形のないものを「気」という
・重さのないものはみな「気」である。ex, 空気、光、電気、磁石の力、温度、エネルギー、生命、心、時間、空間
・物があれば、気がその中に入り込んでいる

瓶のなかの空気がでなければ水をいれることはできない、故にこの点から空気は物だ。)

このようなことから、気が物になったり、物が気になったりすると考えた。
・気があつまって物ができる
・物が細かくわかれると気になる
・水は気が物になったので、火は物が気になったものである

**今の科学では、原子、分子とよばれる考え方はこの当時はなく、ひと続きの「気」とされた。
今でも「空気」「水蒸気」と「気」をつけて呼ぶことはこの当時のなごりで、西洋にはなく日本独特の考え方である。


ところが、現在でも人の心は形も重さもないとわかっている。だから、心は「気」である。そこで、彼は物になる気を「粗い気」と、
本当の気を「細かい気」として区別した。

そして、人間も「気」からできているとかんがえた。

粗い気があつまって人体ができ、そのなかに細かい気が入りこんで命やエネルギー、心となって生きた人間ができる。
その気がぬけてしまえば、人は死ぬ。死体は分解してしまえば、気になるとかんがえた。


「気があつまって人の形ができ、形ができると気が宿る。この気が心であって、性質、感情、欲望、物を知る働き、運動はみな気である。
このことを「生」といい、この気が散って人の形がなくなることを「死」という」(元気論上)


いまから200年以上前の雄大な自然哲学だとおもいました。

そして、わからなかった上の図が、なんだかすこし理解できました。


また、時間があるときにメモします。