国東半島へ 4 三浦梅園
1回目の国東半島への取材も終わり、2回目の取材の準備をしています。
1回目は雨のため、なかなかうまく動くことができませんでしたが、
3日目の晴れ間をつかって、国東半島の聖なる山々の登山をしました。
夏は、登山をする人がいないため、登山道(ほぼ獣道です)の整備がされていません。
おいしげった草木をわけながら、そしてマムシを踏まないように、注意しながらの
の登山でした。
途中、猪の群れにあったり、かつて古代宗教の祭りの場であった山々を探検しながら
改めて、国東半島が朝鮮半島からの影響を受けながら、独自の文化を形成していった
ということを直感する場面にいくつか出会いました。
これは、長崎県の対馬や、韓国の済州島を撮影してきたわたしにとって、とても意味のある撮影となりました。
撮影最後の日は、どうしてもきになっていた「三浦梅園資料館」へ。
三浦梅園は、国東半島生まれの医者であり、偉大な思想家・自然哲学者で、途中、長崎など旅にはでていますが
ほぼこの国東半島の自然のなかで、「...とは何か?」という疑問を一生涯において追求した人です。
わたしには、読むのは難解すぎますが、条理学という独自の思想を描いた「玄語」を書いた人です。
先祖は、わたしの住む横須賀市にも近い、三浦市のかたのようです。
資料館のなかでは、難解といわれる梅園の思想を分かりやすく、また当時の資料をたくさん展示してあり
有意義な時間でした。
「人は情意に富むを以て最も声技に富む。手足とその技を半ばにす。故に言動という」
人間のみが他の動物とちがい、2足で立ち、頭は後ろに退いて、口は次第に言語を発するようになる。
手の技と声の技が発達してくる。こういうことをふまえた梅園の人間にたいする深い洞察です。
小さいころから梅園は、自然をみつめ、1つ1つのことに「なぜ?」という疑問をもったようです。そして、以後、著したいくつかの書籍の内容は、自然にかんすることであり、そうでなければ「私」にかんすることだというように、とにかくするどい洞察力で自然観察をした人だと、わたしは認識しました。
これは、入口近くにあった、看板。地元の小学生がつくったようです、素敵。
これは、資料館のなかに展示してあった図。
わたし、意味はわかりません。
しんりをもとめて、しぜんかんさつ。
撮影、がんばります。