共感するということ
あたりまえだと思っていることの裏に本質がかくれています。
あたりまえのことなんてないのです。
もしあったら、
それは「あたりまえだとおもわされているだけ」なのです。すべての出来事には歴史があり、そこにいたるまでの経緯があります。
複雑に入り込んださまざまな事情があり、
簡単に善悪を判断することはできません。もし単純でわかりきった善悪が目の前にあるとしたら、
それは
「嘘」
なのです。だれかの都合によって善悪をきめつけられているだけなのです。
現実はすべて、さまざまな因果によって成り立ち、
善いも悪いもない渾然一体となったペルシャ織の絨毯のようです。事象は精妙な編み目のなかの一つの図柄として存在しているのです。
その編み目の一つとして自分を自覚できたとき、
同じ編み目の別の一つとして存在する他者との共感が、奇跡的に生み出されるときもある、、、
ということなのです。共感とはそのような希有なものです。
だからこそ、
共感が発生した時には、
自分を変えてしまうほどの力をもって
他者が迫ってくるのです。