Photo diary from sajima

写真家 内田亜里のブログです

今から400年以上まえに、奴隷としてゴアにやってきた日本人たちのこと。

今日はまじめにゴアのこと。


ゴアはインド西海岸中部のマンドウィー河の河口にある島に位置し、天然の良港があります。16世紀初めにはイスラーム王朝のビジャープル王国の重要都市でありましたが、1510年、ポルトガル提督アフォンソ・デ・アルブケルケはビジャプール藩国を打ち負かし、ゴアを占領しました。この勝利で、ポルトガルのインド植民地政策は基礎を固めます。占領されたゴアは街並みをリスボンに模して華麗に再建されていきました。ゴアはここで、ポルトガルの対アジア貿易の拠点として、またキリスト教布教の基地として動き出すことになります。そして60にもおよぶバロック様式キリスト教聖堂がたくさんつくられていきました。アフォンソ・デ・アルブケルケはのちに総督となりますが、かれはキリスト教への改宗を強いた訳ではなくむしろヒンドゥー教との結婚も認めたというらしいですから、このゴアに様々な顔立ちをした人々がいるのにはうなずけます。その後、日本でも有名なフランシスコ•ザビエルもここゴアへくることになります。でももうそのころのゴアはすでにキリスト教が布教されていたらしいですが。でこのザビエルの遺体が安置されているのもここゴア。オールドゴアにあるボム・ジェズ・バシリカです。

そんな歴史のあるゴアで、ちょっとびっくり知らなかったことを聞いたのでここに記します。

それは、



今から400年以上まえに、奴隷としてゴアにやってきた日本人たちのこと


です。


へー。

勿論、つれてきたのはポルトガル人です。

ああ、そうかあ、ポルトガルが日本にやってきたのは、1543年。ちょうど、アルフォンソがビジャブールを打ち負かし、ゴアがどんどんリスボンもどきになっていっていたころ。
で、相当の多くの日本人が奴隷としてゴアにやってきたそうなのだが、男は軍人として、そしてむしろ女のほうが重宝されたという。
これら「日本人奴隷」についての書籍はほとんど現在は皆無らしい。これは昭和21年〜23年にかけてGHQによって市中に出回っていたその種の書籍がほとんど焚書扱いとされ本屋の書棚から消えていったからであるという。
ということは、奴隷としてつれていかれたのは、やはり長崎をはじめとする九州地方の人たちなんだろうか。
ある歴史書によると、ゴアにはポルトガル人とおなじくらいの日本人奴隷もいたとか、いないとか、、。



すげー。



知らないこと多すぎます。



不思議な感覚を呼び起こされる事実です、

導かれて、ゴアにいるんだナ。


で、その何百年後、写真なんかをやっているわたしは
ゴアに住んでいて、
だんだんとゴアに吸い込まれていきつつある今日この頃、遅いか!

でも、

ここ、すげーおもしろいとこ。