Ali uchida

写真家 内田亜里のブログです

馬、ときどきマセラティ


マセラティは、どこでもマセラティなんだなあ、と
マセラティが目の前をとおりすぎていくのをみて、
この塗装されていない牛だらけの道を、
注意深く走り去るのをみて、
おもいました。

お金はどこの国でもお金で、それ以上も以下もなく、
貧乏がいれば、
かぎりなく金持ちがいて、
インドであれ、どこであれ、
ボロ切れを着た人間に右手をさしだされても、
それに毎回答える財力など、本当のわたしにはないのです。
しかし、愛はあります。

わたしは、一杯12円のチャイと、20円のサモサがだいすきです。
ときどき日本のドトールのようなコーヒーショップにはいると
おなじようなもので0が1つ多くつく。
たっけえー。
でも、お金はお金なのです。
その振り幅がとてつもなく大きいか、
小さいか、
それが国によってちがうのは当たり前のこと。
インドはとてもそれが大きい。
アメリカだってそうよ、
かもしれないけど、おもしろいほど目に見えてわかるのは
ここインド。
マセラティが走り去るその横で、
馬に荷物を括り付けた農夫が
道をゆったりと
歩いている。

そんなことは、どうでもいい。

わたしは、乗り物だとか、顔かたちだとか、お金とか
関係なく、
人間をみてみたいのです。
最近思うことに、その振り幅が大きいと
人間がみえてくるのです。

ウーン、ふしぎ。
人間がみえてくるんだなあ。
入れ物じゃなくて、その本質がね。
体は旅行鞄みたいなもので、入れ物だからなあ。
そして、なにをもっているのかも、旅行鞄にはいったパンツのようなもの。
必要あるけど、なくてもいい。


ドロンとね、人間がみえるのです。


稚拙で、意味わからないけど、自分でわかってるからそれでいい。


で、もちろんテメエのこともよーく見えてしまったりして、
そんなことで落ち込む日もあり、



いいじゃないかっ。




ここはインドだ!



わたしはここで、生きている。