Photo diary from sajima

写真家 内田亜里のブログです

オーロヴィル、ポンディチェリー









オーロヴィルについて(wikipwdia)

「マザー」の名で知られるミラ・リチャードは、オーロビンドの霊性の親密な協力者であった。彼女は1878年2月21日に、トルコ人とエジプト人の子として、パリで生まれた。彼女はパリの文化的・霊的な生活に没頭し、アレクサンドラ・デイビッド=ネールと交友を結んだ。彼女は1914年3月29日にポンディシェリに赴き、1920年になるとそこに移住した。オーロビンドは彼にとって彼女こそが霊性な協力者、パートナーであると認めた。

オーロビンドが人目を忍んだ場所へ隠遁した1926年11月24日以降、彼は彼女に、彼らの周りに集まった門弟の共同体「シュリー・オーロビンド・アーシュラム」の運営を委ねた。[1]しばらくして子供たちと共に家族がアーシュラムに加入した頃、彼女はシュリー・オーロビンド・教育インターナショナルセンター[2]を設立し、監督した。
オーロビンドが1950年に死去した後も、マザーはオーロビンドの遺志を受け継いだ霊性活動とアーシュラムの監督を行い、そして門弟を指導し続けた。

1960年代中頃に彼女は、人間の団結を促進するユネスコの後援を受け、ポンディシェリの近くに国際タウン「オーロヴィル」を開設した。
そこは、全ての国の男女が、全ての国籍・政治思想・信条を超越した平和と段階的調和に生きることが可能な理想郷を意図して創られたものであった。
1968年に記念式典が行われ、121の国とインドの全ての州の代表者によって、各自ひと握りの土がオーロヴィルの中心近くの壷の中に入れられた。その後オーロヴィルは発展し続け、現在は35の国から約1700人のメンバーを受け入れている。マザーは同じくインドのフランス植民地の合併において積極的な役割を果たし、更に生前のオーロビンドの要望により、ポンディシェリをインドとフランスの間の文化的な交流の中心地とすべく助力した。マザーは、1973年11月17日に死去するまでポンディシェリに在住した。
マザーによる地球上に新しい至高意識を確立する試みと、彼女が肉体的な変容を遂げるまでの努力については、"Mother's Agenda"の名で知られる全13巻の著作に叙述されている。

オーロヴィル公式ページ

http://www.auroville.org/