アイザック・アシモフ
長い人類の発展の跡をたどってみると、それはいろいろな意味での栄光と勝利の、
また頭脳の発展の、
また火の発見の、
また、都市や文明の建設の、
また、理性の凱歌の物語であり、
また、人類が地に満ち充ちて海洋や宇宙へと進出してゆく物語であるように思える。だが、知識の増大は、勝利ばかりではなく完膚なきまでの挫折をもたらす。
われわれは新たな可能性を知るにとどまらず、
新たな限界をも知るのだからだ。
探検家は新大陸を発見するかもしれないし、
世界の果てに行き当たるかもしれないからである。それは人類そのものについても同じ事だ。
生きとし生けるものの中で、
われわれだけが生命なき世界を支配する力を持ち、
同時にわれわれだけが生命なき世界から打ち負かされたりもする。
なぜなら、
われわれだけが敗北をしっているのだからだ。われわれのような時間の観念を知る生物は(知られている限りでは)
一つもないことを考えてみたまえ。
動物にも記憶はあるだろう。
だが、彼らには「過去」の観念はありえないし、
いわんや”未来”の観念はない。人間以外の生物は、
ひたすら現在の刹那をのみ生きる。
人間以外の生物には、
自分がいつか必ず死ぬということも予想できない。
人間だけが生命の有限さを自覚し、
それゆえに人間だけが有限の生命をもつのである。アイザック・アシモフ「時間と宇宙について」